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【6/27菅野完氏講演】日本会議と安倍政権の憲法改悪を止めよ

前回の記事で、英国でシルバー民主主義が若者の欲しい未来を壊してしまったことを書きましたが、日本でも同じことが進行しています。日本のシルバー民主主義の中心的存在のひとつで、安倍首相個人と深く結びついた「日本会議」。「日本会議の研究」の著者である菅野完氏の講演を聴講したので、レポートします。

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日時 2016年6月27日(月) 18時~
場所 韓国民団中央本部にて
「日本会議の研究」著者 菅野 完氏講演レポート

(なんと、こちらは民団の主催です。民団もまた、日本の民主主義の崩壊を憂慮しています。)

~以下講演レポート~

講演の最後の締めくくりに、日本会議とは要するに「女・子供・外国人は黙っとれ!」と主張するおっさん達の草の根運動だという言葉が印象的でした。個人の権利を主張する人々に対する嫌悪感があるのです。フェミニズムの対極に位置する運動だと思います。

会場で早速購入した著書「日本会議の研究」の帯には、「市民運動が嘲笑の対象にさえなった80年代以降の日本で、めげずに、愚直に、地道に、そして極めて民主的な、市民運動の王道を歩んできた一群の人々によって日本の民主主義は殺されるだろう」という不気味な言葉に戦慄を覚えます。アメリカでイギリスで人々が素朴とさえ言える国家主義的な主張に傾き思わぬ方向に行こうとしています。

同じ潮流が日本でも起きているのでしょうか。

菅野さんは日本会議を黒幕とか狂信的とかという見方には与しません。"The"支配力はありませんが、然し"a"支配力は十分あるし警戒すべき勢力であることには違いありません。今や安倍首相以下閣僚の八割が日本会議のメンバーなのですから。
然し、日本のメディアは最近まで全く注意を払ってきませんでした。菅野さんは2007年(第一次安倍政権)に加藤紘一氏が警鐘を鳴らしていた記事を紹介していましたが残念ながら加藤氏は政治的影響力を失っていて注目されることはありませんでした。

参考までにその記事の抜粋を下記します。

朝日新聞2007年3月29日付

(ニッポン人脈記)安倍政権の空気(17)タカ派と結び「美しい国」

安倍が国会で答えた「美しい国」とは、こういうことだ。「明治、大正期に外国人の多くが日本を称賛した。アインシュタインは、謙虚さと質素さ、純粋で静かな心、これらを保ってほしいと述べた。質素でも立ち居振る舞いが美しい日本人でありたい」明治、大正期はなお封建的な考え方が強く、その時代をあえて理想と語る安倍流の「美しい国」は戦後の価値を否定する復古主義に見える。(中略)リベラルを取り込んだ安倍に、右派ジャーナリズムは「手ぬるい」と不満を隠さず、自民党内で従軍慰安婦をめぐる河野談話の見直しを求める動きなどが広がる。非主流派の加藤紘一(67)はいま、とりわけ「日本会議」の動きを気にかけている。(中略)加藤は「安倍政権が限界線を越えたら動き出すべきかな」と言う。その限界線とは「地域のコミュニティー社会が自民党保守の原点。安倍政権が公立学校に競争原理を取り入れようとするなど、地域社会をないがしろにした時は立ち上がらないと」

菅野氏はこう指摘します。日本のメディアは政治家の思想・信条を問うことを殆どせずもっぱら金、女、といったスキャンダルを追及することが中心だと。今まで注目されてこなかったことが日本会議に幸いしました。癌が自覚症状なく進行するのに似ているかも知れません。(本来、立憲民主主義を機能させるにはメディアの役割が欠かせませんが、機能不全状態が長らく放置されているのが日本の不幸だと思います。)

菅野氏は続けます。日本会議は地域コミュニティー社会をないがしろにするどころか、家族の絆や地域の絆を大切にする価値観を掲げて色々な宗教組織(神社、仏教、新興宗教など)を束ねて草の根の運動を展開してきました。宗教的思想信条が異なる人々を束ねるイデオロギーは突き詰めていくと結局「女、こども、外人どもは黙っとれ!」という素朴な「オッサン達の思い」です。

菅野氏の説明を聞いているうちに、私はその素朴さと宗教的に唱和するルーティンが運動に慣性を持たせる秘密なのかも知れないと思うようになりました。民主的なワイマール憲法下、1930年代にナチスドイツが勢力を伸ばしていった状況と驚くほど似ています。

菅野氏が昨年11月に武道館で開催された「今こそ憲法改正を!一万人大会」に一般人として参加した時の経験談が興味深いです。何十台と用意されたバスに乗って全国からいろいろな宗教団体単位で大勢のお年寄りが動員され整然と会場に入ります。一般参加は殆どいません。会場では演説が次々と続きますが誰も聞いていません。然し、彼らが盛り上がるタイミングが3つありました。それは国旗掲揚・君が代斉唱、朝日の悪口、そして9条廃止、です。理屈抜きに国家を象徴するものへの崇敬とリベラルへの反感が彼らを束ねるものであると実感したとのことです。

運動の特徴は全て地方発の草の根運動です。地方議会に請願を出しデモや講演会をし、地方議会に議決をしてもらい機関紙を発行し・・と地道に粘り強く継続しています。つまり高い事務能力を持っています。投票率が低い地方選挙では、組織的継続的に訴えるこうした集団に議員は弱いのでしょう。現在1300名が地方議員連盟のメンバーで、日本会議が提出した議決案(従軍慰安婦を教科書から削除する請願など)を次々と地方議会が議決しています。農村から攻め上がる、これは毛沢東率いる中国共産党が採った戦略ですが、そうした手法を学んでいると言われています。組織の幹部たちが70年代安保闘争の頃の左翼学生運動に対抗した学生運動家たちであり左翼の運動手法をよく研究しています。左翼の運動が下火になっても彼らは学んだ運動手法を地道に継続しているのです。

彼らの継続するエネルギーはどこから来るのでしょうか。

菅野氏の著書によれば、幹部たちが70年安保闘争の際に左翼学生から酷い攻撃を受けた被害感情、恨みの感情がドライバーになっている様子ですが、一方で彼らを支持するおっさん達のエネルギーは何なんでしょう。私が思うに、戦後女性解放が進んだ結果隅に追いやられたおっさん達の被害感情が彼らの情熱の元ではないのかと。こう考えると米国のトランプを支える人々、英国のEU離脱に賛成する人々は何らかの「被害感情」を持っている点で似ています。被害感情が排他的になり国家主義に転化していくという点では、戦前ナチスを熱狂的に支持したドイツ国民も敗戦後の疲弊した経済状態に置かれていました。一方安倍政権の「被害感情」の代表が、岸信介が受けたポツダム宣言、公職追放、憲法制定という屈辱だと思います。安倍はその被害感情、恨みを正当に継承しお友達を呼び寄せて政権をつくりました。安倍政権の恨みとおっさん達の恨みがシンクロしているのが現在の姿なのです。岸信介が権勢をふるった時代よ、もう一度、戦後レジームさようなら、古きよき時代よこんにちわ。安倍さんの取り巻きに三世・四世議員たちが多いのも偶然ではありません。

菅野氏によれば、日本会議の憲法改正の優先順位は、まず緊急事態条項(新設)、そして家族条項(24条)それから9条ということのようです。緊急事態条項は非常時の政権独裁を認めるという点で、まさにナチス党が全権委任法を通して独裁を勝ち取った手法と同じ、これさえ手に入れば後はなにも要りません。そして家族条項、これはおっさん達の悲願、9条より大切なことがよくわかります。

これから日本会議はそして日本社会はどうなっていくのでしょうか。日本国憲法が保証する「自由」と「民主主義」によって彼らの運動はここまで発展してきました。然し、その目指す社会はおよそ非民主的な不自由な社会です。若い世代は自由であることを当たり前のこととして生きています。彼らには政府による抑圧など考えられないでしょう。若い世代が何らかの被害感情をもつ時、日本会議の言説に容易になびくのは目に見えています。

どうすれば、この強力な潮流に抗していけるのでしょうか。一つの光明は、おっさんたちに対抗するおばちゃんたちの存在ではないでしょうか。全日本おばちゃん党の代表谷口真由美さん(大阪国際大学准教授)によれば、おっさんと正反対の存在がおばちゃんです。(朝日新聞2016年5月4日付)彼女は言います。おっさんはありがとう、ごめんなさい、おめでとうが言えない人たちだと。どんな嫌いな人であってもその人が不当な扱いを受けたら声を上げて守ろうとする、これがおばちゃんマインドだと。同じことができる男性を「おっちゃん」、できない女性はおばはんですと。

そう言われてみれば、田辺聖子の作品に出てくる心優しい旦那さんは「かもかのおっちゃん」でした。おっちゃんは女性の味方なのですね。そして自民党の女性議員には、おばはんの雰囲気が確かに漂っています。

おっさん対おばちゃん、対比するとよく分かるのが命に対する向き合い方です。おっさんは無条件に国対国の喧嘩腰で軍事的な抑止力を考えます。国家ありきのアタマです。一方、おばちゃんはまず外交努力でしょう。同じ人間同士、話せば分かるはずと。こちらは、人ありきのアタマです。憲法はやはりおばちゃん的なのですね。

これまで述べてきましたが日本会議を核とする運動はおっさん達のおっさん達によるおっさん達の為のシルバー民主主義。これは日本社会の古層といってよい被害感情に深く根ざしていますから、安倍政権が退陣したとしても再び同じような現象が繰り返し起こる公算が高いのではないかと感じます。こうした運動の対抗軸はやはりおばちゃんたちとおっちゃんたちの連帯しかありません。おっさん達と同じように民主的にねばり強く憲法が保証する自由の素晴らしさを訴えていかなければいつか突破されてしまうでしょう。

今こそ私たちは、日本会議の持つ本質的な性格、そして日本社会が置かれている今の状況をしっかりと見る必要があります。
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